| 教会を建て上げるために 「理想的な教会の体質」 |
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| メダカを飼いたければ、きれいな水を用意しなければなりません。メダカは汚れた水の中を生きていけません。献身的な |
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| 信者を生み出すにも、適切な環境が求められます。教会の体質は、その教会の雰囲気でもあります。私は初期のうち |
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| 教会のビジョンの中に目指す雰囲気を組み込みました。「自然体」「愛と赦し」「楽しさ」「レスポンス」「建て上げ」「失敗を |
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| 恐れない」「責任感」「神の栄光」「柔軟性」などです。しかし、どこの教会でも一番必要な雰囲気は、「偽善がない」「真実」 |
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| という雰囲気でしょう。 |
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| そんなことは当たり前と思われるかも知れませんが、実はキリスト教会にも偽善が進入しやすいものです。偽善は、 |
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| イエスがが最も嫌った罪であり、宗教者が一番陥りやすい罪です。イエスを十字架にかけて殺したパリサイ人たちの |
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| 中身は偽善でした。「あなたがたも、外側は人に正しいと見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。」(マタイ23:28) |
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| とイエスは言われ、「多くの人が肉によって誇っているので、」(第二コリント11:18)とパウロは嘆いています。 |
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| もし教会が主張することと、現実の生き方に開きがあるならば、そのことによって、真剣な人は去り、若者たちには |
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| つまずきとなるでしょう。それは価値観がまだこの世と変わっていないことを意味します。世の中は本物だけに飢え乾い |
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| ているので、パフォーマンスだけのキリスト教には興味を示さないでしょう。 |
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| <聖書の価値観> |
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| イエス時代のユダヤ教だけでなく、今日もこの世の価値観が、多くの教会の中に進入しているように見えます。世の |
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| 人々は、地位、名誉、学歴、成功を誇ります。事実世の人々のアイデンティティは自分が持っているこのような付属品に |
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| あります。地位が自分自身の誇りであり、安心の土台です。学歴が自信のもとです。男は成功しているか、していない |
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| かで、自信の持ち方が大きく変わります。 |
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| 教会を眺めてみましょう。もしクリスチャンが同じことをしていたなら、恥をかきます。しかし、それぞれが肉の賢さを |
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| 持っているので、霊的に見える言葉にすり替えます。気がつくと霊的自慢大会が始まっています。どこの神学校を卒業 |
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| したか。何時間祈っているか。断食をどの位したか。きれいな会堂があるか。教会員は何人か。祈りや断食は神と交わる |
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| ための手段ですが、もし自慢するなら隠れた所で見ておられる神を喜ばせることはできません(マタイ6:16) |
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| 会堂のサイズや教会員の数は神からの祝福ですが、自慢するために神が与えたものではありません。 パウロは、 |
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| 「私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。」(ピリピ3:8)と言ったではありま |
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| せんか?なぜ今さら、ちりとあくたを追いかけるのでしょうか?これは追求している価値観が根本的に違っているから |
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| です。キリスト以外に誇りを持ちたくありません。 |
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| なぜ新約聖書の価値観がこれほどまでに大切なのかというもう一つの理由は、この世の価値観が進入している場所 |
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| では、透明な信頼し合える交わりを共有することができないからです。「誰が一番偉いか?」という価値観の交わりの中 |
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| には差別があり、裁きがあり、優越感と劣等感が支配しています。心を開くことができません。 |
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| <偽善をなくす方法> |
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| 「もし神が光りの中におられるように、私たちも光りの中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの |
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| 血はすべての罪から私たちをきよめます。」(第一ヨハネ1:7)もし私たちが罪の告白を互いにしていなければ、罪責感に |
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| さいなまれます。汚れはできるだけ早く処理したいものですが、一人で告白しても平安がありません。初代のように互いに |
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| 告白し合う関係が必要です。神は三位一体であり、コミュニティの神です。仲間が必要です。罪を隠せば偽善者になって |
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| しまいます。そうでないと、人は口だけで良いことを言いながら、行動で否定する者になってしまいます。 |
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| 初代教会には透明な交わり、コミュニティがありました。彼らは交わりの中で、互に自分の罪を言い表わしていました。 |
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| だから臨在と力があったのです。今日、セルを中心とした多くの教会で、ライフ・トランスフォーメーション・グループ(LTG) |
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| を取り入れるようになりました。それは二人、ないし三人で毎週一度会い、教えられた聖書を分かち合い、罪を告白し合い |
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| 失われた人のために祈り合います。LTGをしている人は、罪の責めがないために、自信のある生き方ができています。 |
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| 偽善をなくすには、告白し合う関係を持つ以外にありません。しかし、そのようになるためには、教会が透明な雰囲気を |
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| セットしてあげなければなりません。理想的な教会の体質とは、罪を告白し合えるほど、透明な人間関係です。 |
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