|
2007年 5月29日 「これから牧師になる人には人格テストをしたら?」
今日は休みの日、のんびりしようと庭を散歩し、朝食をとる為に戻って、食卓に着くと電話が入った。家内が出てからすぐに「あなたよ。○○さんって知っている?」

よくわからなかったが、電話で話しているうちに何となく誰の関係の人か分かってきた。今日時間を取って欲しいと言われたが、自分自身の時間を持ちたいので断って電話にしてもらった。
それにしても、聞いていて疲れる話しだった。簡単にまとめてみるとこんな感じだ。
相談してきたのは牧師(長老)の息子。昨日父が冷蔵庫を開いたら、野菜が腐っていた。それで怒り始め、お母さんに怒鳴り散らしていた。しかも2時間半もの間怒鳴ったあげく、今度は息子である彼のところに来て、怒鳴り散らしたというのだ。
彼は我慢できなくなり、飛びかかって暴力を振るおうとした。でも聖書に反すると思い、暴力を振るうことを思いとどめると、父は「お前は家に○○円しか入れてないくせに、偉そうな振る舞いをするな。この家はオレのものだ。出て行け!」と言われたそうだ。
父親は毎日曜にメッセージしているが、律法的な話しをするので人々は散ってしまったみたい。

インディ(服部雄ちゃん)が、ひきこもりセラピストを希望する人の為の最初の登竜門として「スクリーンテスト」を定めた。3人以上のひきこもり回復者に個別審査してもらいセラピストに向いているかどうかを判断してもらう。
私は最初にそこを通過した人物であるが(とは言っても私のときは治った人が周りにいなかったので、何人かのひきこもり患者が私をテストした)、基本的には2つの条件をパスしないとカウンセラー訓練をしてもらえない。
(1)潜在的ひきこもりではないこと。つまり本音と建て前を使い分ける二重人格ではないこと。
現場でも家でも同じことを語り、共依存ではなく、本心を語っていることだ。簡単に言うと偽善者じゃなく、自然体で生きていると言っていいだろう。そしてその次に、
(2)アタッチメント(絆を作る)能力があることだ。相手を理解し、保護し、安心感が持てる信頼できる人物であること。母性、父性があり、人を人格的に育てられる人物であることだ。

電話相談に乗り話を聞きながら、またこの話しかと思った。こういう話しは珍しいことではなく、よくあることだ。ただし隠れた情報として存在する。寺の坊さんや宗教家に関するこの手の話しもたくさん聞いたが、もっとえげつなく、しかも露骨だ。道徳の規準が全くないからであろう。
でもどっちも同じだと思う。私がこういう話しをするとき、完璧な人間でないといけないと言っているのではなく、正直になろうと言っているだけだ。
話しを戻そう。今は偽善にうんざりした時代であり、本物でないと通用しない時代だ。いや偽善でも偉い人であれば、文句を言わずに従う人たちもたくさんいるが、ある種の目覚めた人たちがどの業界にも存在し、正直な生き方、本質を生きることを心の底で求めている。

これは私の提案であるが、これから牧師になる人は、スクリーンテストに似たものを受けるようにしてはどうだろうか?
3人以上の本物志向のクリスチャンと1時間ずつ個人的に面談を持つ。そしてその人たちに、この人が信頼できる人物かどうかを判断してもらうっていうのはどうだろう。同時にその人の周辺(友人か家族)からどういう人物かの情報を得るのもいいかも。
このスクリーンテストがあれば、神学校卒業の為の勉学だけが牧師になる為の目標ではなくなり、人格を整えることが牧師になる前の一番の目標になるので、キリスト教会の評判はぐいぐい上がるに違いない。
教会の数はそんなに増えないが、真の教会が国で栄えるという点を考えると一つの希望が持てるアイデアであると思わないだろうか?そうすれば、心に傷を持った人たちは、人格的に整えられる為に、あらゆる努力をして癒しと解放を受けるようになるだろう。

聖書をたくみに語っていても生きてない者には心に伝わってくるものがない。語れるかではなくて、生きているかである。その生きた人になる為には無条件で愛し理解してくれる人物と天のパパに個人的に出会う必要がある。
変えられた証を持っている人には力と魅力がある。
待って!何でそこに人間が入るの?という人がいるだろう。
人を入れてはいけないだろうか?神は人が天のパパを現すように計画された。イエスは父を現すためにこの世に来た。私たちの心の中にイエスが宿るようになった理由も、天のパパを私たちが現すようになるためだった。
「人を見てはいけない。天だけ見上げるべきだ。」という言葉は一見霊的に聞こえるが、残念ながらモデルになる人が周りにいないときに、諦めムードで言う言葉だ。聖書は神だけで活動されないと教えている。神は人を通して働かれることを願われる。

横道に逸れてしまったが、私はこう思う。牧師になるような人物は、現場から生まれてくるはずだ。現場でそのような人物を見つけたなら、その人を牧師にしたらいい。牧師をすでにしているので、牧師に任命するのである。神学校に行くか行かないかは、ニーズに基づいて牧師になる本人が決めればいい。
|